伊豆諸島は東京都です。伊豆半島は静岡県なのに、同じ「伊豆」の名がつく島々は東京都。この食い違いは、明治11(1878)年に静岡県から東京府へ移ったことから来ています。この記事では、東京都総務局と大島町が公開している沿革、日本郵便の郵便番号、国土交通省の管轄区域をもとに、いつ・どういう順で東京になったのか、そして島の暮らしのどこに「東京」が出てくるのかを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 何県か | 東京都(有人9島・2町6村) |
| 東京になった年 | 明治11(1878)年に東京府へ編入。昭和18年の都政施行で東京都 |
| その前の所属 | 韮山県→足柄県→静岡県 |
| 都の出先機関 | 大島支庁・三宅支庁・八丈支庁 |
| 郵便番号 | 千代田区と同じ「100」から始まる |
| 車のナンバー | 品川ナンバー |
| 都庁からの距離 | 大島 約109km〜青ヶ島 約358km |
伊豆諸島は何県か:東京都の9島・2町6村
東京都総務局によると、伊豆諸島は東京の南の海に連なり(都庁からのおよその距離で大島 約109km〜青ヶ島 約358km)、人が住む島は大島・利島・新島・式根島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島・青ヶ島の9島です。自治体は昭和31(1956)年に三宅島の旧3村が合併して以来、2町6村のまま続いています。式根島は独立した村ではなく、新島村の一部です。
島と町村の読み方・郵便番号・距離
読みは日本郵便の郵便番号データの表記、距離は東京都総務局の資料にある「都庁からのおよその距離」です。
| 島 | 町村(読み) | 郵便番号の例 | 都庁から |
|---|---|---|---|
| 大島 | 大島町(おおしままち) | 100-0101(元町) | 約109km |
| 利島 | 利島村(としまむら) | 100-0301 | 約134km |
| 新島 | 新島村(にいじまむら) | 100-0402(本村) | 約151km |
| 式根島 | 新島村 式根島(しきねじま) | 100-0511 | 約157km |
| 神津島 | 神津島村(こうづしまむら) | 100-0601 | 約172km |
| 三宅島 | 三宅村(みやけむら) | 100-1101(神着) | 約180km |
| 御蔵島 | 御蔵島村(みくらじまむら) | 100-1301 | 約199km |
| 八丈島 | 八丈町(はちじょうまち) | 100-1401(大賀郷) | 約287km |
| 青ヶ島 | 青ヶ島村(あおがしまむら) | 100-1701 | 約358km |
利島は「としま」と読み、東京23区の豊島区と同じ音です。神津島の「津」は「づ」と書きます。
なぜ東京都なのか:明治11年に静岡県から東京府へ
江戸時代から、島の暮らしは江戸と結びついていた
東京都総務局の沿革は、江戸時代の伊豆諸島を「徳川幕府の直轄地として、本土の多くを占める大名領とは異なる制度の下におかれた」と書いています。さらに島の人々は特産物を江戸の「島方会所」に送り、その資金で生活物資を買っていたとし、「経済的にも伊豆諸島と江戸とは深い結びつきがあった」とまとめています。

明治の所属の変遷:韮山県→足柄県→静岡県→東京府
明治に入ってからの所属は、東京都総務局の沿革と大島町の基本情報が同じ順で記しています。韮山県、足柄県、静岡県と移り、明治11(1878)年に東京府へ編入。大島町の記述では、その後昭和18年の都政施行に伴い東京都に所属して現在に至ります。つまり伊豆諸島が静岡県に入っていた時期があり、東京府に移ったのはその後です。
公式の沿革に「移した理由」は書かれていない
東京都総務局の沿革も大島町の基本情報も、「いつ、どこからどこへ移ったか」は書いていますが、「なぜ移したか」は一文も書いていません。書かれているのは、江戸時代から島の経済が江戸と結びついていたという事実までです。ネットでは理由をひとつに言い切る解説も見かけますが、自治体の公式な沿革で確かめられるのはここまで、と押さえておくのが安全です。
たとえばYouTubeの解説動画(「伊豆半島が静岡県なのに、伊豆諸島が東京都なのはなぜ?」)は、取引をめぐる裁判で当事者が静岡と東京を行き来する負担や、島の人たちの要望を理由に挙げています。ただ、この2点は東京都総務局の沿革にも大島町の基本情報にも出てこないので、この記事では確かめられた事実としては扱いません。
なぜ「伊豆」と呼ぶのか:名前は東京府より前から
東京都総務局の沿革は、冒頭で「伊豆諸島は、古くから伊豆七島と称されており」と書いています。東京府に移るより前から使われてきた呼び名が、所属が変わったあとも残った形です。
距離を見ると、名前が伊豆のままなのもうなずけます。大島町の基本情報では、伊豆大島は東京から120km(都庁からの距離を使った上の表では約109km。測る起点が違います)に対して、熱海から46km、伊東から36km、稲取から28km。いちばん近い島は、東京より伊豆半島にずっと近いのです。大島町の基本情報には、伊豆大島が昭和39年に富士箱根伊豆国立公園に編入されたことも書かれていて、国立公園の名前にも「伊豆」が入っています。
島の暮らしに出てくる「東京」
郵便番号は千代田区と同じ「100」
日本郵便の郵便番号検索で「100」を引くと、千代田区と伊豆諸島・小笠原の町村が同じ一覧に並びます。千代田区千代田は100-0001、青ヶ島村は100-1701。住所には郡の名前が入りません(例:東京都大島町)。そのかわり日本郵便のデータでは、八丈町は「東京都八丈島八丈町」、三宅村は「東京都三宅島三宅村」と、町村名の前に島の名前が入ります。

車は品川ナンバー、都の出先は3つの支庁
国土交通省関東運輸局 東京運輸支局の管轄区域図では、品川ナンバーの区域に「中央区、千代田区、港区、品川区、大田区、渋谷区、目黒区、島しょ」と並んでいます。島で登録される車も、この品川ナンバーの区域に入ります。
東京都は島ごとに出先機関の支庁を置いています。大島支庁は大島町・利島村・新島村・神津島村、三宅支庁は三宅村と御蔵島村、八丈支庁は八丈町と青ヶ島村を受け持ちます(小笠原村は小笠原支庁)。
島の歴史で知っておきたい4つの出来事
- 昭和21(1946)年1月:大島町によると、終戦直後に大島は日本政府の行政から切り離され、一時連合軍の軍政下に置かれました。同じ年の3月に復帰しています。
- 1780年代:東京都総務局によると、青ヶ島は噴火で島民が避難し、帰還する「還住」までの約50年間、無人島でした。
- 昭和61(1986)年:三原山の噴火で、大島は約1か月の全島避難になりました。
- 平成12(2000)年:三宅島の雄山が噴火し、4年以上の全島避難のあと、平成17(2005)年に帰島しています。

まとめ
伊豆諸島は東京都で、明治11(1878)年に静岡県から東京府へ移りました。それ以前は韮山県・足柄県・静岡県と所属が変わっています。公式の沿革が移管の理由までは書いていない一方、江戸時代から島の経済が江戸と結びついていたことは書かれています。「伊豆」の名は東京府より前からの呼び名で、大島から見れば、伊豆半島のほうがずっと近くにあります。郵便番号の100、品川ナンバー、竹芝から出る船。島に渡ると、東京の一部だということをあちこちで目にします。
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参考・出典(公式サイト)
- 東京都総務局「伊豆諸島について」(沿革・概況)
- 東京都総務局「伊豆諸島・小笠原諸島の概況」(東京宝島推進委員会資料・都庁からの距離)
- 大島町「基本情報」
- 日本郵便 郵便番号検索(100)
- 国土交通省関東運輸局 東京運輸支局 管轄区域
- 東京都大島支庁「管内町村情報」
- 東京都三宅支庁
- 東京都八丈支庁「令和5年度 東京都事業説明資料 青ヶ島村」
※ 情報は変更される場合があります。おでかけ前に各公式サイトでご確認ください。(最終確認:2026年9月)
