三宅島 噴火の跡を歩く|溶岩に埋まった校舎と、笠木だけ残った鳥居

緑に覆われた山へ向かってのびるコンクリートの導流堤と、その上を渡る道路の橋

三宅島を車で一周すると、道路のわきに「三七山」「新鼻新山」「ひょうたん山」という名前の看板が次々に出てきます。どれも噴火でできた地形で、しかもできた年がそのまま名前になっているものがあります。三七山は1962年(昭和37年)の噴火でできた山です。ここでは、島に残る噴火の跡をどう見て回るかと、いま三宅島に入る人が知っておくべき火山ガスのルールをまとめます。

いまの三宅島は、どういう状態なのか

気象庁は三宅島に噴火警戒レベル1(活火山であることに留意)を出しています。2025年6月に火山性地震が増えてレベル2(火口周辺規制)に引き上げられましたが、同年7月18日11時00分にレベル1へ引き下げられ、その状態が続いています。ただしレベル1でも、山頂火口内および主火孔から500メートル以内では火山灰などの噴出に警戒が必要とされています(気象庁)。

島そのものは直径8kmのほぼ円形の成層火山で、標高は775m(雄山の標高点)。中央部に直径約3.5kmのカルデラがあり、その内側に2000年の噴火でできた直径約1.6kmのカルデラがあります。気象庁は「最近500年間には17〜69年の間隔で13回の噴火が起き、1回の噴出物量は2000〜3000万トン程度である」としています。数十年に一度は噴いてきた島だということです。

そして三宅村は、条例に基づいて島内に立ち入り規制区域を設定しています。村の「来島時の諸注意」は「条例に基づき、島内には立ち入り規制区域が設定されております。防災マップをもとに確認をしてください」と案内しています。村が公開している防災マップ(火山ガス)を見ると、雄山の山頂部が立入禁止区域、その外側の山腹一帯が危険区域として色分けされています。つまり、観光で歩けるのは海沿いをめぐる道と、その周辺です。島を走ると、山へ向かってまっすぐ延びるコンクリートの導流堤が何本も目に入ります。噴火のあとに繰り返し起きた泥流を海へ逃がすための構造物で、これも火山の島の風景の一部です。

噴火の年号が、そのまま地名になっている

三宅島の見どころは、火山の跡そのものです。それぞれ「何年の噴火でできたか」がはっきりしていて、島内の看板でも年号で説明されています。村営バスの停留所名も、そのまま地形の名前になっているものが多いです。島は一周約30kmで、観光協会は所要の目安を車で約1時間、自転車で2〜3.5時間、徒歩なら8〜9時間としています。半日あれば、年号のついた地形をひととおり回れる規模です。

噴火した年 残っているもの 何が見えるか 地区・最寄りバス停
1643年(寛永20年) コシキの穴 噴火口。遊歩道と展望ベンチが整備されている 阿古地区
1763年(宝暦13年) 新澪池(跡) 噴火でできた火口湖。1983年の噴火で水が消えた 阿古地区・新澪池
1940年(昭和15年) ひょうたん山 約22時間でできた噴石丘。都道より山側の赤い壁が当時の海岸線 神着地区・赤場暁
1962年(昭和37年) 三七山 割れ目噴火の噴石丘。山頂が展望台(トイレ・休憩施設あり) 坪田地区・三七山
1983年(昭和58年) 火山体験遊歩道 溶岩流の上に敷かれた遊歩道と、埋まった阿古小・中学校跡 阿古地区(トイレ・駐車場あり)
1983年(昭和58年) 新鼻新山 噴火の最後にできた火砕丘。海側が削れて断面が見える 阿古地区・新澪池
2000年(平成12年) 椎取神社の鳥居/赤場暁 泥流に埋まった鳥居/溶岩の上に戻ってきた緑 神着地区・赤場暁
三宅島観光協会・東京都(GO TOKYO)・気象庁の公表内容から作成。バス停名は観光協会の各スポットページに記載のもの

1983年の溶岩の上に、遊歩道がある

1983年10月3日、雄山の南西山腹に生じた割れ目から噴火が始まりました。気象庁の記録では、西へ流れた溶岩が阿古地区の400棟を超える住家を埋没・焼き尽くし、海岸近くで止まっています。人的被害はありませんでした。三宅島観光協会は、このとき噴き出した溶岩の高さを「100m以上」としています。

そして2007年、この溶岩流の上に遊歩道が完成しました。それが火山体験遊歩道です。東京都の観光公式サイトは「1983年(昭和58年)の噴火の溶岩流で埋没した阿古小・中学校跡を噴火当時の状態で見ることができる貴重なジオスポット」と紹介しています。溶岩に半分埋まった校舎が、当時のまま残っているということです。トイレと駐車場があります。

2000年の泥流が埋めた、椎取神社の鳥居

神着地区の椎取神社は、全国に2861社ある式内社のうち、三宅島にある12社のひとつです。2000年の噴火では大量の泥流が発生し、社殿と鳥居を飲み込みました。社殿と鳥居はその後あらためて建てられましたが、笠木(かさぎ=鳥居のいちばん上の横木)だけを残して埋まったかつての鳥居が、そのまま残されています。

観光協会は、このときの火山ガスによって社殿を取り囲む森の大半が立ち枯れたとも書いています。緑もまた戻りつつある、というのが現在の状態です。

池が消えた場所と、最後にできた山

阿古地区の新澪池は、1763年の噴火でできた火口湖でした。水面が七色に変化する池として親しまれていましたが、1983年の噴火で溶岩が流れ込み、池の水と溶岩が接触して激しい水蒸気爆発が起きた結果、水はなくなりました。いまは新澪池「跡」です。

その近くの海岸に見える黒い高まりが新鼻新山。1983年の噴火の最後に噴火した火口がつくった火砕丘で、海側が波に削られているため、火山の断面をそのまま観察できます。

噴火の年が名前になった2つの丘と、緑が戻った溶岩原

ひょうたん山は1940年の噴火でできました。雄山の北東山腹、標高200m付近から噴火し、たった約22時間のうちに丘ができています。このときの溶岩は、当時は漁船や客船の風除けの場だった赤場暁湾を埋めて沖へ流れ出ました。都道より山側にそびえる赤い壁が、噴火前の海岸線です。名前のとおり2つの噴石丘が連なった形でしたが、海側のひとつは波風に削り取られました。

三七山は1962年。雄山山頂と赤場暁を結ぶ山腹で割れ目噴火が起き、溶岩は火口から約200mの高さまで吹き上がりました。積み重なった噴石でできた丘は高さ数十mに達し、噴火の起こった年号(昭和37年)から「三七山」と呼ばれています。山頂は展望台で、トイレと休憩施設があります。

赤場暁は、溶岩流に覆われて長く植物が入れない場所でした。ところが2000年の噴火で一帯に10cm以上の火山灰が積もり、泥流や土石流が溶岩の表面を覆ったことで保水力とミネラルが供給され、イタドリやススキ、クロマツ、オオバヤシャブシの進出が一気に進んでいます。噴火が緑を焼き、噴火が緑を呼び戻した場所です。

三宅島の森にある木造の休憩所と、苔に覆われたテーブル・ベンチ
島の森の休憩所。テーブルもベンチも苔に覆われている

溶岩が海に届いた岬と、島を見渡す展望台

坪田地区のサタドー岬は、海面から約20mの高さでそびえる絶壁の岬で、流れ出た溶岩と火山弾が見られます。ここに立つ白亜の無人灯台(サタドー岬灯台)は1954年(昭和29年)の初点灯。バス停「御子敷」から徒歩3分です。

島の反対側、伊豆地区の伊豆岬には明治42年に建造された純白の角柱型の灯台があり、トイレと休憩所もあります。観光協会は、灯台以外に明かりがないため星空の観賞地としても人気だとしています。阿古地区の七島展望台は雄山の中腹付近にあり、天気が良ければ北は大島から南は八丈島まで見渡せます。1983年の噴火では、この付近で最初の火口が開きました。

三宅島の岬に立つ灯台と、水平線に浮かぶ島影
岬の先端に立つ灯台。水平線には伊豆諸島のほかの島が浮かぶ

観光で行く人も、条例の「村民等」に入る

三宅島でいちばん見落とされやすいのがここです。三宅村には「三宅村火山ガスに対する安全確保に関する条例」(平成31年3月26日 条例第2号)があり、この条例の「村民等」には、三宅島に観光等で入島し、滞在する者が含まれます。つまり旅行者も条例の対象です。

条例が定めているのは、おおむね次のことです。

  • 立入禁止区域:火山活動の監視・観測・学術研究などのため、あらかじめ登録し村長の許可を得た人以外は立ち入れない
  • 危険区域:監視・観測・学術研究・災害復旧に従事する人と、火山防災について学習する人のうち、村長の許可を得た人以外は立ち入れない
  • 注意報・警報:二酸化硫黄の濃度が基準を超えるとき、村長が濃度の段階に応じて発令する。村民等はその段階に応じた行動基準を守らなければならない
  • 過料:正当な理由なく村長の指示に従わなかった者には、5万円以下の過料が科されることがある

村の防災マップ(火山ガス)では、警報を出すエリアが①三池・沖ケ平/②坪田/③立根/④薄木・粟辺/⑤阿古/⑥伊ヶ谷/⑦伊豆・神着/⑧美茂井・島下/⑨御子敷の9地区に分けられています。滞在中に放送が流れたら、自分がいるのがどの地区なのかで対応が変わる、ということです。

条例の前文には、火山活動は「全体としてゆっくりと低下しているが、終息には至っておらず、火山ガスの放出は依然として続いている」と書かれています。2000年の噴火では、二酸化硫黄の放出量が9月から10月に1日あたり2〜5万トンに達しました(気象庁)。全島避難は2000年9月1日に決まり、島民4000人余が島を離れ、避難指示が解除されたのは2005年2月1日です。噴火そのものは2013年を最後に確認されていません。

実際に島を車で一周した記録では、村営牧場の先に「ここより内側は危険区域」「さらに内側は立入禁止区域」という表示が立っていた様子が記録されています(YouTube「【三宅島】想像以上だった…噴火の痕跡が残る島を一周してみた」動画はこちら)。ひょうたん山や新鼻新山のように柵のない場所も多く、崖際に寄りすぎないことも書かれていました。

ガスマスクは要るのか

結論から言うと、いまは要りません。三宅島観光協会はよくある質問で「微量ですが島の中心火口部より火山ガスの噴出は続いています。日により噴出量は異なりますが、現在はごく微量で集落地域ではほぼ計測されない為、ガスマスクの携行は不要です」と回答しています。観光協会によれば、ガスマスクの携行義務は平成25年(2013年)7月に解除され、噴火警戒レベルも平成27年(2015年)6月に2から1へ引き下げられました。その後2025年6月に地震が増えて一時レベル2に戻りましたが、同年7月18日にふたたび1へ引き下げられ、いまに至ります。

ただし「不要」なのは携行の話であって、規制区域が無くなったわけではありません。観光協会も「島内には山頂を中心に規制区域が設けられています」と書いています。呼吸器や循環器に持病がある人は、村が火山ガスと健康影響の情報を出しているので、出発前に村の公式ページで確認してください。

火山を見たあとに寄れる場所

島の主な施設は、2000年の火山活動で長く止まったあと、順番に再開しています。復旧の順番そのものが、島の歩みの記録になっています。

施設 再開 時間・休み 料金(目安)
ふるさとの湯(ふるさと体験ビレッジ) 2007年6月 4〜9月 11:00〜21:00(最終入場20:30)/10〜3月 11:00〜20:00(最終入場19:30)・水曜休 大人500円/小人250円(6歳以上12歳未満)/6歳未満無料
アカコッコ館(三宅島自然ふれあいセンター) 2005年7月 9:00〜16:30・月曜休 一般200円/中学生以下・65歳以上無料
三宅島郷土資料館 ― 10:00〜17:00・水曜/年末年始休 一般200円/中学生以下・65歳以上無料
三宅村「観光施設のご案内」・三宅島観光協会の公表内容による。カレンダーで休館日が変わるため、行く前に各公式で確認してください

アカコッコ館は1993年に村が大路池のほとりに開設した施設で、2000年9月から休館し、2005年7月に運営を再開しました。大路池自体も2500年以前の水蒸気爆発でできた火口湖(周囲2.1km)で、火山の島であることに変わりはありません。鳥を見に行く人は三宅島バードウォッチング入門もあわせてどうぞ。

まとめ

三宅島は、噴火の跡を「見に行く」のではなく、噴火の跡の上を歩き、その横で温泉に入る島です。1643年の噴火口、1940年と1962年の噴石丘、1983年の溶岩に埋まった校舎、2000年の泥流に埋まった鳥居——年号のついた地形をつないでいくと、島が何度も噴かれて何度も戻ってきたことが、そのまま順路になります。いまは噴火警戒レベル1ですが、島の中央は条例に基づく規制区域で、旅行者も条例の対象です。防災マップで自分がいる地区を確認したうえで、海沿いの道から見て回ってください。

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参考・出典(公式サイト)

※ 情報は変更される場合があります。おでかけ前に各公式サイトでご確認ください。(最終確認:2026年9月)

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