伊豆諸島9島の名前の由来と読み方|神津島はもと「神集島」、三宅島は説が3つ

港の「ようこそ利島へ」の看板と、円錐形の宮塚山

伊豆諸島の9島は、名前の由来がはっきりしている島ばかりではありません。神津島は昔「神集島」と書き、三宅島は村の公式サイトが由来の説を3つ挙げ、利島は村自身が「今もはっきりしたことは分かっていません」と書いています。この記事では、各町村・観光協会・東京都が公開している資料に書かれていることだけを使って、9島の読み方と名前の由来を島ごとに並べます。参照した公式資料に由来の記述がない島は、そう書きます。

島(読み) 古い書き方・名前の由来として公式資料にあること
大島(おおしま) 日本書紀・続日本紀では「伊豆島」と呼ばれた(東京都大島支庁)
利島(としま) 由来は「はっきりしたことは分かっていません」。以前は「外島」「戸島」とも(利島村)
新島(にいじま) 参照した公式資料に由来の記述なし
式根島(しきねじま) 参照した公式資料に由来の記述なし。新島と陸続きだったという説がある
神津島(こうづしま) もとは「神集島」。神々が集まって相談した伝説から(神津島村教育委員会・神津島観光協会)
三宅島(みやけじま) 家三つ説・式内社説(宮家島)・御焼島説の3つ(三宅村)
御蔵島(みくらじま) 参照した公式資料に由来の記述なし。水配り伝説では水をいちばん多くもらった島
八丈島(はちじょうじま) 一説に、絹織物を八丈(約24m)の長さに織っていたことから(八丈島観光協会)
青ヶ島(あおがしま) 参照した公式資料に由来の記述なし

読みは日本郵便の郵便番号データにある町村名の読みに合わせています(式根島は新島村の一部)。

「伊豆七島」に入っている島と、入っていない島

伊豆諸島は今も「伊豆七島」と呼ばれることがあります。東京都大島支庁の「管内概要」は、大島支庁が受け持つ大島・利島・新島(式根島を含む)・神津島に、三宅島・御蔵島・八丈島を加えて「昔からこれを伊豆七島と総称している」と書いています。数えると7島で、式根島は新島の属島として、青ヶ島はこの7島の外に置かれています。いっぽう東京都総務局の資料は、伊豆諸島を「9島の有人離島」と多くの無人島からなる、と説明しています。

同じ資料は、史伝として「伊豆七島は大国主命の御子事代主命が開いたと言われ」、さらに「現在の大島を伊豆島と呼び(日本書紀、続日本紀)」と記しています。いまの「大島」は、古い記録では「伊豆島」でした。

神津島:神々が集まった「神集島」

名前の由来がいちばんはっきり語られているのが神津島です。神津島村教育委員会は「もとは『神集島』と書き、神話に彩られた島」と紹介し、神津島観光協会の観光ガイドは、事代主命が神々を集めて伊豆の島々を作るための相談をこの島で行ったという伝説に由来する、と書いています。

観光ガイドは別の古い文献として、『続日本後紀』の840(承和7)年の記事として「本の名を上津島(こうづしま)の名づく」という一文を引いています。観光ガイドは「上津島」に「こうづしま」と読みを添えています。

神津島の港と白い砂浜、背後の緑の山
神津島の港。島の中央には、神々が集まったと伝わる天上山がある

水配り伝説:到着した順に水が配られた

この集まりでは、水の配り方も話し合われたと伝わります。東京都環境局の自然公園のページ(神津島の歴史)によると、天上山の山頂「不入が沢(はいらないがさわ)」に島々の神が集まり、命の源である水をどう配分するかを話し合いました。これが「水配り伝説」で、不入が沢は今も足を踏み入れてはいけない場所とされています。

御蔵島村の村長が全国町村会に寄せた随想(2015年)には、配られた順番まで出てきます。翌朝に到着順に水を汲ませることに決まり、1番が御蔵島、続いて新島、八丈島、三宅島、大島。最後に来た利島の神にはほとんど水が残っておらず、怒って池の中を暴れまわったため、神津島のあちこちに湧き水が飛び散った、という話です。御蔵島はいちばん多く水をもらったので飲み水に恵まれている、と伝えられています。

三宅島:村が挙げる由来は3つ

三宅村の公式サイトは、島名の由来として次の3つの説を並べています。

  • 家三つ説:島のかたちを、家が3つ並んでいるように見立てた
  • 式内社説:式内社が12社もあることから、お宮を表す「宮家島」とした
  • 御焼島説:「南方海島志」にあるように、噴火が多いことから「御焼島」とした

そのうえで村は、文献によって説が違うので「ひとつに絞ることはできず」と書いています。同じページによると、島の伝説や神話の多くは、三宅島が開かれた物語「三宅記」に記されています。

三宅島の海岸に残る赤い火山の崖
三宅島の海岸。噴火の多さは「御焼島説」の根拠にもなっている

八丈島:布の長さが島の名前になったという説

八丈島観光協会は、島の絹織物「黄八丈」を紹介するページで、一疋(二反分)の長さが曲尺で八丈(約24m)に織られていたことが「八丈島」の由来とも言われる、と書いています。東京都の子ども向け広報も、織物が八丈の長さで取引されていたことから名がついたという説を紹介しています。

どちらも断定せず、「由来とも言われる」「という説」という書き方で、八丈町の公式サイトの歴史のページには島名の由来の記述はありません。町のページにあるのは、黄八丈が江戸時代に現物の年貢として大奥などで使われていた、という歴史です。

八丈島の牧草地と八丈富士
八丈島の八丈富士

利島:「はっきりしたことは分かっていません」

利島村の公式サイトは、島名の由来について「今もはっきりしたことは分かっていません」と書き、以前は「外島」「戸島」と書かれていたこともあると添えています。読みは「としま」で、東京23区の豊島区と同じ音です。

水配り伝説では最後に着いて、水がほとんど残っていなかった島ですが、その利島の神が暴れたおかげで神津島に湧き水ができた、という筋書きになっています。

由来の記述が見当たらない5島:大島・新島・式根島・御蔵島・青ヶ島

この記事で参照した町村・観光協会・東京都の公開資料(下の出典一覧と、各町村の概要ページ)には、この5島の島名の由来を説明した記述がありませんでした。分かっていることは次のとおりです。

  • 大島:古くは「伊豆島」と呼ばれた(東京都大島支庁)。
  • 新島と式根島:東京都環境局のページ(新島観光協会の文章)に、1703年の大津波で「陸続きであった式根島と新島が海を隔て分離したとの説もあります」とある。今の式根島は新島村の一部です。
  • 御蔵島:水配り伝説では、最初に神津島に着いて水をいちばん多くもらった島。
  • 青ヶ島:「伊豆七島」の7島には入っていない島。

ネットでは、これらの島にも由来を言い切る解説が見つかりますが、出典がたどれないものはこの記事では扱っていません。

まとめ

9島のうち、公式の資料が名前の由来を語っているのは神津島(神集島)・三宅島(3つの説)・八丈島(布の長さの一説)で、利島は「分かっていない」と明言しています。島どうしをつなぐ話としては、神津島の天上山に神々が集まり、着いた順に水を分けた「水配り伝説」が残っています。神津島の天上山の不入が沢と、飲み水に恵まれているという御蔵島は、この伝説の舞台と結末にあたります。

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参考・出典(公式サイト)

※ 情報は変更される場合があります。おでかけ前に各公式サイトでご確認ください。(最終確認:2026年10月)

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